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神戸地方裁判所 昭和60年(行ク)1号 決定

兵庫県津名郡五色町都志大日六五六番地の四

原告

中尾利治

右訴訟代理人弁護士

小貫精一郎

高橋敬

兵庫県洲本市山手一丁目一番一五号

被告

洲本税務署長

大坂宏

右指定代理人

田中慎治

狩野磯雄

藤本靖男

大国克己

西峰邦男

芝亘

右当事者間の昭和五七年(行ウ)第三三号課税処分取消請求事件につき、原告から文書提出命令の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立を却下する。

理由

第一当事者の申立及び意見

原告の文書提出命令の申立は別紙一のとおりであり、被告の意見は同二のとおりであり、これに対する原告の反論意見は同三のとおりである。

第二当裁判所の判断

一  文書提出義務の原因(民事訴訟法三一二条一号該当性)について

(一)  民事訴訟法三一二条一号が、当事者が訴訟において引用した文書につきその当事者に提出義務を課している趣旨は、当該文書を所持する当事者においてその存在を主張し、裁判所に自己の主張が真実であることの心証を一方的に形成させる危険を避けるため、当該文書を相手方の批判にさらすのが公平であるとの考慮に基づくものであるから、同条号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、当事者の一方が、訴訟においてその主張を明確にするために、文書の存在について、具体的、自発的に言及し、かつ、その内容を積極的に引用した場合における当該文書を指称するものと解するのが相当である。

(二)  これを本件についてみるに、被告は、昭和五八年六月二日第二準備書面一に於いて、「青色申告書」及び「青色申告者」の語を各一か所用いているが、右「青色申告」の語は、当該同業者がいわゆる青色申告者であるという属人的要素として言及したにとどまり、これのみをもつては、右(一)の場合に該当するということはできない。

しかし、被告の提出にかかる乙第二号証ないし第七号証についてみると、大阪国税局長が、洲本、姫路及び龍野の各税務署長に対し、青色申告決算書に基づいて同業者調査票を作成、提出することを書面(右乙第二号証、第四号証及び第六号証)をもつて依頼し、これに応じて右洲本、姫路及び龍野の各税務署長がそれぞれ同業者調査票(右乙第三号証、第五号証及び第七号証)を作成したことが認めれる。そうすると、右各同業者調査票は、特段の事情が認められない限り、原告が提出を求める青色申告決算書に基づいて作成され、その記載内容の重要部分を明らかにしているものということができる。そして、原告は、右各証拠を提出し、かつ、平成元年一月一二日付第五準備書面において右同業者調査票に基づく主張をしていることが明らかである。被告は、右各青色申告決算書の存在について、具体的、自発的に言及し、かつ、その内容を積極的に引用したものと評価することができ、したがつて、原告が提出を求める各文書は、前記条号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当するというべきである。

二  主義義務について

(一)  民事訴訟法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも、同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用され、文書所持者等に守秘義務のあるときは、その文書所持者は、当該文書の提出義務を免れるというべきである。

(二)  これを本件についてみるに、青色申告書及び青色申告決算書は、個人の秘密に属する所得金額、資産、負債の内容等が記載された文書であり、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によつて守秘義務を負うものであつて、税務署長が訴訟当事者としてこのような文書を訴訟において引用したからといつて各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負つているものというべきである。また、本件において原告が提出を求めるのは、当該青色申告書及び各青色申告決算書の写しで、当該業者名及び住所を墨塗りとしたものであるが、申告者の氏名や住所、さらには当該申告者の電話番号、事業所の名称や所在地、従業員の氏名、年齢を墨塗りとした場合でも、償却資産の内容、申告書の筆跡等から、申告者の特定が可能となり、ひいて当該申告者についての前記秘匿事項が明らかとなるおそれはなお相当程度高いと考えられ、やはり守秘義務との抵触を避けられないというべきである。

三  結論

以上のとおり、本件申立にかかる文書は、右守秘義務との関係において文書提出命令の対象となしえないものであり、したがつて、本件申立は、その余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(判長裁判官 林泰民 裁判官 岡部崇明 裁判官 植野聡)

別紙一 原告の文書提出命令の申立

一 文書の表示

洲本、姫路、龍野の各税務署宛に提出された畳床製造業者中、それぞれ同業者として抽出された業者の昭和五二年~昭和五四年の青色申告書及び同書添付の決算書一切(但し、振出は右書面の写で業者名、住所は墨塗)

二 文書の所持者

(保管先)兵庫県洲本市山手一の一の一五

洲本税務署

兵庫県姫路市北条字中道二五〇

姫路税務署

兵庫県竜野市竜野町富永字田井屋畑一〇〇五の七〇

龍野税務署

三 文書の趣旨

本件訴訟において、被告が原告に対する昭和五二年~昭和五四年の所得税の申告に対する更正決定を行つた根拠は、調査により実績を算出してそれが原告申告と差異があるということでなく、全くの推計である。その推計の根拠たる同業者率なるものは一項記載の文書から一定の基準で抽出することにより行つたということであり、(被告第二準備書面)、右文書は、本件更正決定の税額算出の根拠資料である。

四 証すべき事実

被告主張の同業者率に全く根拠がないこと

1 抽出過程についても、抽出の母集団をすべて明らかにしたうえ、その中からそれぞれ四件を選定した経過を示すならまだしも、被告担当職員が間違いなく選定しましたと主張するのを鵜呑みにすることができないのは、税務署が更正処分をしました、だから間違いありませんというのに等しく、いかなる母集団から、どうやつて選定されたかこそ、検証されねばならない。それによつて、被告主張の同業者の選定が恣意的で同業者率に根拠のないことを明らかにする。

2 原告は、畳床製造卸を業とするものである。若干の畳の製造を行うものの、それは原告の業態から言えば従たるものである。同じ畳に関する製造業においても畳と畳床製造ではその設備投資、原材料の売値に占める割合、従業員の数、資金等には著しい差があり、同じ畳床業者でも原材料の入手の難易、売りさばき先、賃金その他地域によりその業態は多様である。ところが被告の抽出は、まず畳製造業ということで畳床製造業と畳製造業をきちんと区別して行つていないことが容易にうかがわれる。次に業態の違いは、青色申告決算書の諸項目が明らかになれば、ある程度解明されるところである。ところが、被告(国)は原告の要求する書類を提出すれば己の主張のデタラメさの一端が判明すると拒んでいるのである。

五 文書提出義務の原因

税務署長は、国の徴税行政を分担する大蔵省の外局たる国税庁の所掌事務を分掌する国税局の所掌事務をさらに税務署の所轄の地域において一部分掌する、行政機関である。たまたま、納税者がある町から他の町へ転居すれば、転居先において、徴税事務を分掌する行政機関たる税務署長が更正決定を行つているが、いずれにしてもそれらの事務は国の徴税権限の行使として国に帰属することは言うまでもない。そもそも行政事件訴訟法においてその便宜上、義務の主体でない税務署長が当事者となるにすぎないのであるから、内部の所掌ではなく対外的に文書の所有支配にかかる文書提出の問題に帰趨を及ぼすことは全く不合理といわねばならず、税務訴訟において文書提出命令の当事者は、権限の帰属する国と考えなければならない。ところで、本件訴訟において、一項の文書を被告が引用していることは被告第二準備書面で明白である。そうであるから、各税務署で保管する一項記載の文書は提出しなければならない。

別紙二 被告の意見

一 提出義務原因の不存在(民事訴訟法三一二条一号非該当)

1 青色申告決算書は青色申告書に添付して納税義務者の納税地の所轄税務署長に提出すべきもの(国税通則法二一条一項、二項、所得税法一四九条)であり、提出を受けた所轄税務署長の責任においてこれを保管しているものである。したがつて、原告が提出命令を申立てている各青色申告決算書のうち姫路、龍野の各税務署に提出された分の所持者は、姫路、竜野の各税務署長であるところ、右各税務署長は、本件訴訟の当事者ではないのであるから、民事訴訟法(以下「民訴法」という。)三一二条一号の、自ら文書を所持する「当事者」に該当しないことは明らかである。

2 本件申立てに係る文書は、民訴法三一二条一号の「引用シタル文書」にも該当しない。

原告は、「本件訴訟において、一項の文書を被告が引用していることは被告第二準備書面で明白である。」と主張するが、被告が右準備書面において青色申告書という言葉を用いている箇所は同準備書面一、1、(三)における同業者選定基準として「青色申告書を提出していること」の一箇所にすぎない。

ところで、民訴法三一二条一号「引用シタル文書」の意義については、文書そのものを証拠として引用したことを要するか、当事者が文書の存在と内容を引用しさえすればよいかにつき見解が分かれているところであるが、いずれの見解をとるにしても被告が前記箇所で青色申告書という言葉を用いたのは、青色申告者という意味で用いているにすぎず、青色申告書の存在と内容を引用しているものではないのであつて、被告が本件訴訟において本件申立にかかる文書の存在及び内容について言及して被告の主張を明らかにしたことはないのであるから、右文書を被告が訴訟において引用したものということはできない。なお、被告が青色申告をしている同業者の申告内容に基づく主張をしたとしても、これをもつて、青色申告決算書自体を引用したことにならないことは明らかである(乙第三号証、第五号証及び第七号証からも明らかなように、被告の本件推計課税の適法性ないし推計の合理性の主張は、青色申告決算書とは別個の文書としての同業者調査表に基づくものである。)

したがつて、本件文書提出の申出にかかる文書が民訴法三一二条一号の「当事者カ訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当しないことは明らかである。

二 職務上の秘密(守秘義務)による提出義務の不存在

1 職務上の秘密と文書提出義務

民訴法二七二条は、公務員を証人として職務上の秘密につき尋問するには、裁判所は当該監督官庁の承認を得ることが必要である旨規定している。

右規定は、当該秘密を公表することによつて国家利益または公共の利益を害する場合において、これを公表することの当否は、その利害得失を最もよく知つている当該監督官庁の判断に委ねるのが最も合理的であるとの趣旨に出たものと解すべきである。このような同条の規定の趣旨は職務上の秘密に関する文書の提出についても当然類推すべきものである(東京高等裁判所昭和四四年一〇月一五日決定・判例時報五七三号二〇ページ、名古屋地方裁判所昭和五一年一月三〇日決定・判例時報八二二号四四ページ等)から、文書所持者に守秘義務があり、これを公表することにより国家利益又は公共の利益を害するときは、同所持者は文書提出義務を免れると解すべきである。

2 青色申告決算書の提出と守秘義務

(一) 課税庁は、所得税賦課の必要上、納税者の所得金額算定の基礎資料の提出を受けているが、これらの資料は納税者の営業上の秘密やプライバシーに関するものであるから、税務職員はそれを他の用途に用いることにより、納税者の営業上の秘密、プライバシーが侵害されることのないように細心の注意を払うべき義務(守秘義務)を負わされている。

(二) ところで、納税者の帳簿等の資料備付の不充分、税務調査非協力等により課税庁として所得金額を推計して更正、決定するほかない場合があり、しかも、その推計方法として納税者と業種、業態等の類似するいわゆる同業者の売上原価率、所得率等(同業者率)によることが合理的であることが少なくない。このような場合に、右同業者率を把握、算定するには、納税者の事業地の近隣地域の同種事業者の中から営業規模その他の業態の類似する者を調査、発見してその同業者の所得金額計算の基礎数値に基づいて行なうことが必要となるが、その資料としては、数値その他の資料としての正確性からしても、また調査の容易性からしても、通例は各税務署長が青色申告者から提出を受けて保管している青色申告決算書を用いることになるのであり、この意味で青色申告決算書は、課税庁が推計課税を行なうに当たつての第一級の資料であり、多くの事案においては、これを利用することなく合理的に所得金額を推計することは、きわめて困難である。

(三) しかし、一方、右のようなやむをえない事情により、青色申告者の青色申告決算書を利用して同業者率を算定し、そのための基礎数値を公表することは、各申告者の営業上の秘密やプライバシーを侵害することにつながる危険性を包蔵するものであり、税務職員は、守秘義務遵守の立場からその利用に当たり、その危険性が現実化しないよう細心の注意をする職責があるが、その合いの要諦は、同業者(青色申告者)の匿名性の確保である。すなわち、所得計算の基礎数値の申告内容が公表されても、その申告者が誰であるかが特定されないかぎり、営業上の秘密やプライバシーの侵害は生じないのである。

(四) 被告を含む国税当局は、このような見地から、更正処分取消訴訟等の税務訴訟において、同業者率の正確性とその適用の正当性との立証として、申告者の氏名、住所その他の固有名詞を削除した青色申告決算書の写し(機械コピー)を書証として提出したことがあつたが、それは、右削除措置により同業者の匿名性は維持できるから、守秘義務に反することにはならないとの判断に基づくものであつた。しかし、青色申告決算書には、税務署長側が立証しようとする事項以外にも沢山の情報内容が記載されているため、例えば、従業員・専従者の年令、償却資産の内容等から、あるいは、申告書自体の筆跡から、申告者の特定が可能になる場合があり、現に、具体的訴訟事件において原告側が、申告書写しに基づく調査で申告者を特定しえたと主張して同人の証人申請がなされた事例が大阪国税局管内でも相当数にのぼり(もちろん、ここでは、右特定が客観的事実に符合しているか否かを問題にしているのではない。)しかも、その同業者と名指された者が、原告側からその事業内容につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至つた。右のような事態は、申告者の住所、氏名等を削除してもその匿名性が維持できないことが少なくないこと、そして、課税庁が右のような形で青色申告決算書写を書証として提出することは守秘義務に違反するおそれがあることを示すものである。

(五) そこで、課税庁としては、右のような守秘義務違反になるおそれがなく、しかも、同業者率の正確性、その適用の正当性の立証として必要かつ充分な書証として、大阪国税局長の発した一般通達に基づき、青色申告者のうち選定条件を充足する者、あるいは指名された者の決算項目中、売上金額、売上原価、一般経費等の同業者率算定に必要な数値を各税務署長が調査、報告した文書を提出することを原則とするに至つたものである。

(六) 以上のように、推計の資料となつた青色申告決算書を提出することにより、当該納税者の営業上の秘密・プライバシーを侵害し、国家利益又は公共の利益を害する結果となることは明らかである。したがつて、課税庁は、むしろ、右青色申告決算書を提出しない義務(守秘義務)を負わされているものというべきである。

3 本件における被告の守秘義務について

(一) 本件においても被告は一定の選定基準を設定したうえ、大阪国税局長の指定した同業者(青色申告者)四名の売上金額、売上原価、一般経費等について、当該同業者を所轄する税務署長が調査・報告した文書を、乙第三号証第五号証及び第七号証として提出したのである。そして、本件においては、同業者選定に当たつて、青色申告決算書だけでは業態の類似性の有無を判断できないため、同業者調査の結果に基づいて同業者の類似性を確認して、指名方式の通達がなされたのであり、その選定基準(被告第二準備書面一1)は厳格なもので、しかも、これに該当して指名された者が、洲本税務署管内で一名、姫路税務署管内で一名、そして龍野税務署管内で二名と僅少であつたことからみても、被告として申告者の匿名維持には、特に細心の注意を払う必要がある場合なのである。

(二) したがつて、本件において青色申告決算書を提出することは、前記決算書提出の一般的問題の他に、右のような特殊事情も加わつて、仮に、申告者の氏名、住所等を削除したとしても、その申告書の指名が特定されるおそれは、きわめて高く、このような場合において、この文書を提出することが、国家利益又は公共の利益を害し、税務職員である被告に課された守秘義務に違反するものであることは明らかであり、被告は、民訴法二七二条、二八一条一項一号の趣旨を類推して、本件文書の提出義務を免れるものというべきである。

三 本件各文書の証拠としての必要性

推計課税事件において、推計の合理性に関しては被告側に立証責任があるとされているところ、右の経過からも明白なように、被告としては、推計の合理性、特に原告と同業者との業態の類似性については、乙第二号証ないし第七号証の提出及び証人による同業者選定経緯等の立証で十分であると考えるものであり、しかも、これを争う原告としても、自らの業態等をほとんど明らかにしていないのであるから、青色申告決算書の提出だけでは、業態の非類似性を証する証拠とはなりがたいことは明らかである。このような事情がありながら、なお決算書提出に固執する原告の意図は、その提出により同業者を特定し、その同業者に対する調査によつて、業態の些細な相異を指摘して推計の合理性を争うことにあると断ぜざるを得ず、同業者の特定のために必要であるというのは、前記守秘義務との関連をしばらく措くとしても、提出命令の要件たる証拠としての必要性に該当しないというべきである。また、推計課税訴訟の審理のあり方からしても、被告が主張する業態の類似要件で推計が合理的であるか否かがまず判断されるべきなのであり、それが肯定される以上、原告が主張する業態の些細な相異については判断の必要がないというべきであるから、この意味でも、本件文書の証拠としての必要性は否定されるべきである。

別紙三 原告の反論意見

一 提出義務原因の不存在の被告主張の不当性

1 被告は、洲本税務署長以外は本件訴訟の当事者でないから、文書提出の対象者でないとするが、失当である。

そもそも、権利義務の帰属主体は、自然人、法人及び行政主体たる国ないし地方公共団体である。公法上の当事者訴訟にあたつては、国と人民との間の終局的な権利関係を直接に訴訟の対象とし、当事者も権利主体たることが主義とされている。しかし、抗告訴訟においては、第一次的には公法上の権利関係を規律する有権的行為としての行政行為の当否を対象とし、即ち行政機関の権限行使の当否を対象とする。したがつて国と人民との間の争いは、訴訟上においては主観的な権利の直接の主張対立という形ではなく、行政行為の適否をめぐる争いとして現れるから、その訴訟当事者としても、必ずしも権利義務の帰属すべき主体たることを要しないものとし、相手方は行政庁とする主義がとられているにすぎない。すなわち、訴訟当事者たりうるものは、権利主体たることが本則であつて、本来は国が当事者たるべきであり、ただ実際上の便宜から行政庁が国を代表して当事者となつているにすぎないのである。(田中二郎、行政訴訟の法理七七頁、兼子一法律タイムズ一五号)。

そうであるから、たまたま行政事件訴訟において、国の機関が訴訟の当事者となつていても、文書提出に関して、洲本税務署長以外は当事者でないとして、文書提出の当事者でないとするのは詭弁にすぎない。

更に、「文書の所持者」とは、当該文書の処分権を有し、文書提出命令により、具体的な公法上の提出義務を負担する者であるから、そのような権利を有し義務を負担しうるのは、権利主体、すなわち行政主体たる国ないし地方公共団体でなければならず、また、この問題では、行政庁に被告適格を肯定した行政事件訴訟法一一条一項は働いてこないと考えるから、行政庁が「文書の所持者」とはなりえないという考え方も有力であり(新実務民事訴訟9、秋山壽延「行政訴訟における文書提出命令」三〇三頁~三〇五頁)、文書提出問題に関しては、行政訴訟上の当事者と文書提出の相手方たる当事者としての国が交錯してもおかしくないし、むしろ、本件で原告が指摘しているように、たまたま納税者たる国民が住所を変更したことによつて、訴訟上の権利行使にオール・オア・ナッシングという結果が生じるような不合理な取扱を招来するのを回避するためには、原告の解釈が合理的かつ妥当であるといわなければならない。

いずれにせよ、文書提出命令に関する民訴法の各規定は、行政事件訴訟におけるこのような場合を想定して立法されたものではない(前掲・秋山論文)から、裁判所の実体に即した合理的で妥当な処理が強く望まれるものであるといえよう。

2 被告は本件各文書が引用文書でないとするが、これも失当であるといわなければならない。

被告は「被告が青色申告をしている同業者の申告内容に基づく主張をしたとしてもこれをもつて青色申告決算書自体を引用したことにならないのは、明らかである」と主張するが、これも詭弁以外の何物でもない。被告が持ち出す同業者率なるものは青色申告決算書のみから作成されたものであることは証拠上明らかである(乙第二号証、第四号証及び第六号証)。

ところで、民訴法三一二条一号における「訴訟において引用したる」の意義については、右「引用」とは、文書を証拠として引用することを要するとする考え方と、文書の存在と内容を引用していれば足りるとする考え方に分かれているが、裁判例においては、同号の文言には格別の限定がないこと、証拠として引用しているかどうか不明の場合もありうることなどから、後者の考え方を採るものが有力で、仮に、文書が準備書面等で引用されているのではなく、単に書証や本人尋問中でその存在や内容が明らかにされているにすぎない場合に、これをもつて「訴訟ニ於テ」引用したといえるか否かの問題であつても、それが訴訟資料の提出(弁論)の場合に限られ、証拠資料の提出(証拠調べ)の場合を含まないと限定的に解すべき必然性は必ずしもないこと、文書を所持する一方当事者が、当該文書につきその主張の中で何ら触れることなく、専ら書証として提出した陳述書等の中でその内容に触れている場合や、当事者本人尋問中でその内容に積極的に言及している場合に、これを引用文書から外して考えることは、民訴法三一二条一号の立法趣旨、すなわち、一方当事者が引用した文書は、裁判所の一方的な心証形成を防止するために相手方当事者にも利用させることが公正であるとの趣旨に反する結果となること等を考慮して「引用」と解するべきである(前掲・秋山論文二八六頁~二八七頁)。

二 守秘義務なるものについて

1 被告はかつての大阪方式という青色申告決算書の写の書証としての提出をしてきた事実につき、「匿名業者が原告側からその事業内容等につき調査されたりして困惑するという事態が生じるに至つた(中略)ので守秘義務に反するおそれがあることを示すものである」と主張するが、右事実は何も被告が匿名業者のプライバシーとか権利侵害に心を痛めているものでないことは、一見明白である。要するに被告は、匿名業者の同業者性が裁判所において厳格に審査されると自らの推計課税がいかにデタラメで違法不当なものであるかが自白のもとにさらされたという経験から、納税者たる原告による反証を全く封じるために守秘義務をもちだしたものであることが、被告の右主張の文脈から読み取れるのである。

このように被告の守秘義務の主張は、全くの方便である。

そればかりか、被告は、本件訴訟の審理のなかで、乙第二〇号証ほかで原告以外の私人の原告との取引状況についての書証を提出しているが、これがどうして「守秘義務」に違反しないというのであろうか。彼等(私人)とて税務当局の要求に従わざるを得ず、税務当局へ応答はしたものの、応答が訴訟事件に必要といつても、それが公開の法廷で明らかにされることまで被告に許容しているものではない。被告の「守秘義務」なるものは、相手方の邪な意図を実現するためにのみ発動されるようである。しかし、そのようなことが、対等当事者が争う裁判所での審理に通用するはずがない。

三 被告は、被告の推計の合理性は乙第二ないし第七号証の提出と証人によつて、同業者選定経緯等の立証で十分であり、青色申告決算書の提出だけでは業態の非類似性を省する証拠とはなり難いことは明らかであるなどと主張するが、自己矛盾も甚だしい。自ら、守秘義務を口実に青色申告決算書という被告の同業者主張の唯一の根拠資料を秘匿してかつてのような反証による自らの主張の破綻を回避しながら、同業者性を争う証拠たりえない等というのはもはや当事者が対等の立場で訴訟を追行し、真実を解明してゆく、訴訟手続きを許さず、専ら行政事件訴訟を行政庁の違法不当な行為の浄化装置と位置づける見解の披瀝にすぎないものであり、語るに落ちるといわざるを得ない。

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